市指定-彫刻1

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更新日:2023年03月01日

木彫薬師如来立像

中央に大きな菩薩が立っていて、両脇に小さな菩薩や十二神将が数体飾られている写真

像高:96.0センチメートル、肩張:27.37センチメートル、寄木造、彫眼

この像は平安時代(794年~1185年)に製作された当初の本尊で、薬師三尊の両側を十二神将が護っています。
天医山薬王寺は伊豆の国市寺家にある光照寺の末寺で、初め天台宗のち浄土宗。『増訂豆州志稿』によると、治承~寿永(1177年~1183年)の頃には狩野茂光・田代信綱等の祈願所であったが、天正18年(1590年)兵火に遭い仏像だけが残っていたのを、文禄元年(1592)僧誠誉が再興改宗したとあります。

 昭和61年3月8日指定 伊豆市熊坂903:薬王寺

木造釈迦如来坐像

両手の指同士を合わせ親指を上にあげて座禅を組んでいる木造釈迦如来坐像の上半身を写している写真

本堂後室に安置

善名寺の禅定印を結ぶ釈迦如来像坐像は、像高141.0センチメートル、薬師像とほぼ同じ大きさで、像の主要部は榧(かや)と思われる一材から造られ、一旦前後に割離す割剥ぎ造(わりはぎづくり)で内刳(うちぐり)を施しています。腹部は後の時代のほとんど改造に近い補修によるものです。
その他、損傷や彫り直しなどの補修もあり、像表面は現在は漆様の古色を示していますが、当初は漆箔としていたと思われます。

 平成元年2月27日指定 伊豆市吉奈128:善名寺

木造菩薩形立像

人の体をしていて、頭部、体部背面、両肩から先がない木造菩薩形立像の写真

現在は素地姿

左脇室厨子内に安置される菩薩の形をした像は、頭部、体部背面、両肩から先などを失っていて、尊名もはっきりしません。 像高110.0センチメートル、桧材の割矧ぎ造(わりはぎづくり)と思われます。内刳(うちぐり)を施した上で頭部と体部を割離し、もとは彩色像でした。豊かな肉どりや自然で美しいプロポーションからは平安時代後期の仏像の優れた姿が想像されます。
往時の善名寺のレベルの高い仏像群の存在を伝える遺品といえるでしょう。

 平成元年2月27日指定 伊豆市吉奈128:善名寺

木造蔵王権現立像

人の形をしていて両腕がなく、胴体を緑の紐が巻かれている木造蔵王権現立像の写真

善名寺の本堂左脇室厨子内に安置される仏像の一躰は、全体に朽損風化が著しいのですが、頭髪を焔髪とし、口を開き、目を瞠って、右足を上げて立つ像の形から、蔵王権現と思われます。現状の像高は148.0センチメートルで、桧と思われる一木造像で、腰から下に内刳を施し両肩より先を別に付けています。造法や作風からは、平安時代後期の作であることが推測されます。善名寺の関係ではこの他にも、ある時期土中していたと思われる像が伝わっています。

 平成元年2月27日指定 伊豆市吉奈128:善名寺

木造天部形立像 その1

人の形をしていて、両腕がなく、右足を少し曲げて立っている木造天部形立像の写真
  • 像高:113.5センチメートル、面幅:11.5センチメートル、面奥:15.0センチメートル、肩張り:18.0センチメートル、胸幅:19.5センチメートル、腹奥:23.0センチメートル、腰張り:29.0センチメートル
  • 作者不祥 平安時代の後期の後半作 奥書等、特になし

口を閉じ、やや右を向き、着甲して、右足を軽く踏み上げて邪鬼の上に立っています。又、桧と思われる一木造で、内刳はなく、彫眼、彩色の像です。

この仏像は菩薩形立像と同時期の製作と思われます。天部形立像その3と比較して、保存状態は違い、大きさ、甲冑の制、彫り及び像の動きが相似形を成しており、誰の目にも一具と理解されます。しかし、この2体が二天であるか四天王の内の2体であるかは不明です。

 平成元年2月27日指定 伊豆市吉奈128:善名寺

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伊豆市八幡500-1
電話:0558-83-5476 ファックス:0558-83-5480
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