市指定-考古資料、書跡典籍古文書

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更新日:2023年03月01日

神獣鏡

中央に光沢のある大きな石が埋め込まれ、その周囲にまが玉のような形の石が埋め込まれている円形の神獣鏡の写真

子神社境内から出土しました。
神獣鏡は直径13.3センチメートル、厚さ4ミリメートルの白銅製の四獣鏡です。紋様はほぼ明確に認められ、外縁の無紋帯の内側を鋸歯状の紋様がめぐり、外区(そとまち)を構成しています。内区(うちまち)は細い隆起線により区画された二つの紋様帯で、細隆起による波状紋の内側に二個連接の小珠紋がめぐっています。さらにその内側に4体の神獣が組み合わせてあります。製作された年代はおよそ5世紀ごろと推定されています。

昭和49年12月4日指定 伊豆市加殿404 子神社(修善寺郷土資料館)

蓬莱鏡二面及び同容器一式

銅色で字が彫られた円形の鏡二面と絵が彫られている容器の写真

この蓬莱(ほうらい)鏡は昭和の初め熊坂の上畑にあった2メートルほどの小円丘上の霧島ツツジの古株の下から出てきました。桃山時代のものとされています。
容器は一辺約18センチメートルの不正方形の凝灰岩製で、ふたは軽石です。一面は上部に菊花文を描き、直径12センチメートル、縁高1.1センチメートル。一面は五三の桐の紋があり、直径11.5センチメートル、縁高1.05センチメートルです。鏡は二面とも亀の形の取手を持ち、鏡面に次の墨書がみられます。

  • 佛諸行無常 迷故三界城
  • 法是正滅法 悟□□□空
  • 僧生滅々己 本莱無東西
  • 寶寂滅為楽 何處有南北

昭和49年12月4日指定 個人所有

密教法具一式

独鈷杵、花瓶などの密教用具4点の白黒写真

密教法具一式

昭和36年(1961年)修禅寺裏山の墓地から出土しました。
独鈷杵(金銅製、長さ24センチメートル、直径2.6センチメートル)、花瓶、火舎香炉、六器、火打鎌、砥石、念珠、刀子など、10世紀、藤原時代前期の秀品です。
昭和49年12月4日指定 伊豆市修善寺964(小坂)修禅寺瑞宝蔵

書籍 門田の抜穂(かどたのぬきほ)

門田の抜穂の表紙と見開きページの写真

竹村茂雄の門人を主とした歌集です。この歌集は茂雄の没後、孫の茂枝が編集したが、全国的にも高水準のものとされ、伊豆国学の貴重な資料です。
茂雄の門人は200余人ともいわれ、伊豆、駿河を中心に江戸、甲斐、越後に及んだといいます。
昭和61年3月8日指定 個人所有(修善寺郷土資料館)

古文書 徳川家康壺型黒印状

横長の紙に行書体で書かれた徳川家康壺型黒印状の写真

三須家のご先祖文左衛門さんが慶長3年(1598年)3月、徳川家康から賜った長さ2尺1寸(63センチメートル)幅1尺5寸(45センチメートル)の壺型黒印状で、次のとおり記されています。

於豆州、鳥子草、がんぴ、みつまた、何方ニ候共、修善寺文左衛門より外には不可伐、殊に火を付、紙草焼捨候者、其郷中可為曲事候公方紙すき候ときは立野、修善寺の紙すき候者共、手伝可仕者也。

昭和61年3月8日指定 個人所有(修善寺郷土資料館)

書簡 西村茂樹書簡

西村茂樹は幕末の下総国(千葉県)佐倉藩士で、明治時代の文部官僚、道徳思想家です。
堀切尋常小学校が校名変更するにつき、芹澤哲之校長が西村に相談したことへの回答が記されています(明治31年10月13日付)。
同校は「啓発」「成就」の熟語から2文字を使用し、明治33年、啓就尋常小学校と改称しました。この書簡は、校名の由来を伝える貴重なものです。
その後、同校は明治41年熊坂小学校と合併し、熊坂尋常高等小学校となりました。
大沢地区の跡地には「親民学校跡」の碑が建っています。

平成16年2月13日指定 個人所有

この記事に関するお問い合わせ先

社会教育課 生涯学習スタッフ
伊豆市八幡500-1
電話:0558-83-5476 ファックス:0558-83-5480
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