県指定-彫刻・工芸

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更新日:2023年03月01日

県指定の仏像、刀剣等を紹介します。

木造千手観音立像

木造千手観音立像の白黒写真

像高 90.5センチメートル

本像は木像古色塗りで、彫出の天冠台をつけています。髻(もとどり)の上には仏面、天冠台の上には十一面(ただし一面は亡失)を頂き、四十二臂(ひじ)型で各手に腕輪をつけ、足をそろえて直立しています。本像は頭・体の幹部を一木造り、内刳りはほどこしていません。
作風の上から平安時代のものと推定されます。
なお、納め箱の墨書に、本像は明治5年(1872)に廃寺となった瀧源寺の本尊と記されています。

昭和54年2月15日指定 伊豆市大平748:金龍院

木造不動明王坐像

木造不動明王坐像の白黒写真

像高 70.2センチメートル

本像は木像古色塗りで、頭頂に八弁二重の蓮華(れんげ)を頂く坐像です。目は怒らして開き、左腕は臂(ひじ)をまげて羂索(けんさく)をとり、右腕はまげて外側に張り剣をにぎります。そして右脚を外にして結跏趺座(けつかふざ)の型をとっています。

頭・体の根幹部は、桧の一木造りで、内うち刳ぐりはほどこしていません。平安時代の仏師の手によるとみられる個性豊かな作です。

昭和54年2月15日指定 伊豆市大平748:金龍院

木造釈迦如来坐像

木造釈迦如来坐像の白黒写真

2メートルにもなる大仏像

寄木造、玉眼、像高2メートル、膝張1.69メートル

右手に蓮華を持ち、左手を膝の上に、掌を上に向けて置き、拈華微笑の故事に基づく禅宗式釈迦如来像です。
昭和59年(1984)に修復されました。

昭和54年2月15日指定
伊豆市修善寺934(遊覧町):指月殿

木造薬師如来坐像

台座に乗せられケースの中に入っている木造薬師如来坐像の写真

善名寺は、現在、境内と隣接地に薬師堂と不動堂が見られますが、この薬師如来像は薬師堂の本尊です。

像は、右手に施無畏印という印を示し、左手には薬壷をのせる、通例の薬師如来の姿を表しています。像高は149.0センチメートルで、仏像の基準の大きさである丈六(一丈六尺=4.84メートル、坐像の場合はその半分)の、半分の半丈六に造られた像です。

像の主要部をカヤの一材から造る一木造とし、左肩から体側、腕、手、脚などの部分を矧ぎ寄せ、主要部では像内をえぐって内刳りを施し、表面は漆箔(金箔を貼る技法)と彩色で仕上げています。

善名寺の薬師像は、平安時代も早い時期の特徴をとどめていますが、おだやかな姿から平安時代中期から後期頃の作と思われます。

なお、平成14年の修復で、肉身部の漆箔は除去されました。

平成元年2月27日指定 伊豆市吉奈128:善名寺

仏餉鉢

ふちが2箇所ほど湾曲している仏餉鉢の写真

善名寺所蔵の仏餉鉢は、口径20.9センチメートル・高さは8.2センチメートルの鉢です。側面の銘から安貞2年(1228)の作とわかり、青銅製としては、建久2年(1197)作の和歌山県高野山金剛峯寺蔵のものに次ぎ、日本で二番目に古いものとされ形態もよく似ています。当時の善名寺は真言宗に属していたので、僧侶がこの鉢を持ち各家庭を托鉢して回り、米飯や?銭等を受け、御宝前に奉納したと思われます。

昭和31年10月17日指定 伊豆市吉奈128:善名寺

太刀 無銘 伝包永(かねなが)

太刀 無銘 伝包永(かねなが)の茎の部分と上身の部分の写真

時代:鎌倉時代、長さ:2尺3寸3分(70.6センチメートル)、反り:4分5厘(1.4センチメートル)、目くぎ孔:1箇

中切先で延びごころ、庵棟(いおりむね)、鎬造り(しのぎづくり)で身幅は広く、茎なかごは大磨上げ、反りは浅くなっています。鍛(きたえ)肌は板目がつみ、地沸(じにえ)が細かくつきます。刃文は直刃(すぐは)に互の目交じりで、小足が頻りに入り、匂い深く、小沸がよくつき、匂口冴えます。帽子は直に掃きかけて焼詰めます。

大磨上げ無銘の刀で、大和五派の一派である手掻派の祖初代包永の作と伝えています。大和五派には他に千手院、当麻、保昌、尻懸(しつかけ)の各派があります。鎬(しのぎ)が高く、鎬幅が広いのは、大和鍛冶に共通した特徴です。

昭和37年2月27日指定 個人所有

刀 無銘 伝顕国(あきくに)

刀 無銘 伝顕国(あきくに)の茎の部分と上身の部分の写真

時代:南北朝時代、長さ:2尺3寸4分(70.9センチメートル)、反り:7分(2.1センチメートル)、目くぎ孔:2箇

大切先で腰反り、庵棟、鎬造り、表裏に棒樋、鍛肌は小杢目が肌立ち、刃文は小互の目が揃います。帽子は強く突き上げて尖りごころに力強く返ります。

顕国は長門の国の人。長州に移住してきた左安吉の門人であったところから「長門左」と称えていました。応永初年にかけての作刀です。

昭和38年12月27日指定 個人所有

太刀 銘小駒宗太平胤長造

太刀 銘小駒宗太平胤長造の茎の裏表と上身の部分の写真

時代:江戸時代弘化3年(1846)、長さ:2尺6寸6分強(80.6センチメートル)、反り:5分(1.5センチメートル)、目くぎ孔:1箇

大切先で腰反り、庵棟、鎬造り、表裏に棒樋掻通し。鍛肌は板目肌、刃丈は瓦の目十字乱が小良く付きます。刃沸は崩れて湯走り、金筋があらわれています。帽子は乱込み小丸返り、地刃は健全で資料的にも貴重です。

胤長(たねなが)は大慶直胤の門で、小駒宗太(おごまそうた)と称しました。伊豆韮山に住み、江川太郎左衛門英龍の抱工でした。添銘の小川為綏は江川家の人であり、斉藤弥九郎の高弟で武道の達人といいます。

昭和39年4月21日指定 個人所有

刺繍釈迦三尊図 (釈迦、文殊、普賢)掛幅

釈迦、文殊、普賢の釈迦三尊が描かれた刺繡の写真

釈迦三尊像

修禅寺に安置されている釈迦三尊仏は、源頼家の菩提を弔うため母政子が寄進したものと言われています。その制作は南宋時代のもので、釈迦如来像を中心に右側に文珠菩薩像、左側に普賢菩薩像の三幅からなっています。絹地に、青・紺・白・肌・金・茶・鼠・緑の八色の絹糸でみごとに刺繍されていますが、損傷が目立つようになったため、保存に耐えるように昭和61年(1986)修復されました。

昭和39年10月6日指定 伊豆市修善寺964(小坂):修禅寺瑞宝蔵

この記事に関するお問い合わせ先

社会教育課 生涯学習スタッフ
伊豆市八幡500-1
電話:0558-83-5476 ファックス:0558-83-5480
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