県指定-書跡典籍・古文書・考古資料・建造物

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更新日:2023年03月01日

典籍 宋版放光般若経 巻二十三

漢字のみがびっしり書かれた経典の写真

修禅寺に保管されている経典は波羅密経の巻23で、黄麻紙の料紙に墨摺りされています。
1行は17字詰で30行摺り、紙数4枚折り本製で、紙幅は、長さ56.8センチメートル幅28.6センチメートルで天地に界線があります。
巻末には北条政子の直筆で、為征夷大将軍左金吾督源頼家菩提 尼置之 と記されています。

昭和33年4月15日指定 伊豆市修善寺964(小坂):修禅寺瑞宝蔵

考古資料 善願上人舎利瓶

上部に蓋のついた金属製の円柱状の舎利瓶の写真

この舎利瓶は、天明5年(1785)牧之郷寺中(金剛寺という大寺院の跡)の古い石塔の下から出土しました。高さ約18センチメートル、直径約6センチメートルの円筒形銅製で筒面に上人の履歴が銘されています。 上人は文永2年(1265)加藤五郎を父として備州に生まれ、弘安3年(1280)16歳で鎌倉の極楽寺初代長老忍性について出家しています。諱((いみな))を順忍と称し、51歳で極楽寺長老となり、嘉暦元年(1326)62歳で没しました。
極楽寺には上人の3メートル余りの五輪塔があり、その下からも分骨器が出てきました。
牧之郷には加藤一族の五輪塔が並んでいますが、そのうち一基は、景廉の子孫といわれる善願上人のものとおもわれます。

昭和40年3月19日指定 個人所有(修善寺郷土資料館)

修善寺ハリストス正教会顕栄聖堂

白い外壁に緑色の屋根で尖塔と呼ばれる細長く先のとがった屋根が付いた2階部分がある聖堂の写真

この聖堂は寄棟造の木造平家建鉄板葺122平方メートル(37坪)です。
棟の西側に高さ18mの鐘塔がつき、外形の美しい建造物です。明治期に地元には洋式建築を手がける大工はなく、和式の技法で洋風の建物を建築しています。
内部の聖所と至聖所を区切る聖障や各種器物は、日露戦争時、中国の旅順の聖堂にあったものを移転し、そのまま使用しています。
教会所蔵の「顕栄会聖堂建築費記録」1冊と「修善寺教会記録」1冊も同時に県指定されています。
昭和60年11月29日指定 伊豆市修善寺861
修善寺ハリストス正教会

内部見学について

基本的に毎月第2日曜日の午前10時から、礼拝を行っており、参列できます。(予約不要)
ただし、毎年7月は礼拝がありません。また、諸般の事情により急な変更などもありますので、ご了承ください。

白を基調とした壁面数人の人物がなどの絵が描かれている聖障の写真

内部の聖障

この記事に関するお問い合わせ先

社会教育課 生涯学習スタッフ
伊豆市八幡500-1
電話:0558-83-5476 ファックス:0558-83-5480
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