市指定-考古資料、書跡典籍古文書
神獣鏡

子神社境内から出土しました。
神獣鏡は直径13.3センチメートル、厚さ4ミリメートルの白銅製の四獣鏡です。紋様はほぼ明確に認められ、外縁の無紋帯の内側を鋸歯状の紋様がめぐり、外区(そとまち)を構成しています。内区(うちまち)は細い隆起線により区画された二つの紋様帯で、細隆起による波状紋の内側に二個連接の小珠紋がめぐっています。さらにその内側に4体の神獣が組み合わせてあります。製作された年代はおよそ5世紀ごろと推定されています。
昭和49年12月4日指定 伊豆市加殿404 子神社(修善寺郷土資料館)
蓬莱鏡二面及び同容器一式

この蓬莱(ほうらい)鏡は昭和の初め熊坂の上畑にあった2メートルほどの小円丘上の霧島ツツジの古株の下から出てきました。桃山時代のものとされています。
容器は一辺約18センチメートルの不正方形の凝灰岩製で、ふたは軽石です。一面は上部に菊花文を描き、直径12センチメートル、縁高1.1センチメートル。一面は五三の桐の紋があり、直径11.5センチメートル、縁高1.05センチメートルです。鏡は二面とも亀の形の取手を持ち、鏡面に次の墨書がみられます。
- 佛諸行無常 迷故三界城
- 法是正滅法 悟□□□空
- 僧生滅々己 本莱無東西
- 寶寂滅為楽 何處有南北
昭和49年12月4日指定 個人所有
密教法具一式

密教法具一式
昭和36年(1961年)修禅寺裏山の墓地から出土しました。
独鈷杵(金銅製、長さ24センチメートル、直径2.6センチメートル)、花瓶、火舎香炉、六器、火打鎌、砥石、念珠、刀子など、10世紀、藤原時代前期の秀品です。
昭和49年12月4日指定 伊豆市修善寺964(小坂)修禅寺瑞宝蔵
書籍 門田の抜穂(かどたのぬきほ)

竹村茂雄の門人を主とした歌集です。この歌集は茂雄の没後、孫の茂枝が編集したが、全国的にも高水準のものとされ、伊豆国学の貴重な資料です。
茂雄の門人は200余人ともいわれ、伊豆、駿河を中心に江戸、甲斐、越後に及んだといいます。
昭和61年3月8日指定 個人所有(修善寺郷土資料館)
古文書 徳川家康壺型黒印状

三須家のご先祖文左衛門さんが慶長3年(1598年)3月、徳川家康から賜った長さ2尺1寸(63センチメートル)幅1尺5寸(45センチメートル)の壺型黒印状で、次のとおり記されています。
於豆州、鳥子草、がんぴ、みつまた、何方ニ候共、修善寺文左衛門より外には不可伐、殊に火を付、紙草焼捨候者、其郷中可為曲事候公方紙すき候ときは立野、修善寺の紙すき候者共、手伝可仕者也。
昭和61年3月8日指定 個人所有(修善寺郷土資料館)
書簡 西村茂樹書簡
西村茂樹は幕末の下総国(千葉県)佐倉藩士で、明治時代の文部官僚、道徳思想家です。
堀切尋常小学校が校名変更するにつき、芹澤哲之校長が西村に相談したことへの回答が記されています(明治31年10月13日付)。
同校は「啓発」「成就」の熟語から2文字を使用し、明治33年、啓就尋常小学校と改称しました。この書簡は、校名の由来を伝える貴重なものです。
その後、同校は明治41年熊坂小学校と合併し、熊坂尋常高等小学校となりました。
大沢地区の跡地には「親民学校跡」の碑が建っています。
平成16年2月13日指定 個人所有
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更新日:2023年03月01日