修善寺の遺跡
修善寺地区には、現在52の遺跡が確認されています。その中から主なものを紹介します。
出口遺跡(伊豆市大野字出口)
出口遺跡遺構配置図
本遺跡は、修善寺駅の北東約5キロメートルの丘陵上にあり、狩野川の支流である大野川沿いに分布する縄文時代の遺跡の一つである。特に出口遺跡は、最奥部で標高約265メートルの北東から西南の緩斜面上に位置する。
古くから石器や土器の散布地として知られ、昭和38年(1963年)の農業構造改善事業に伴う工事中に石囲い炉跡や焼土が見つかり、付近から土器や石器を採集したことから、発掘調査が行われた。
発見された遺構は住居跡が16軒、遺物は土器片のほかに打製石斧、磨製石斧、石匙、石鏃、磨石、凹石、石棒、石皿が出土した。
石鏃が多く石錘が皆無であることから、狩猟を中心とした伊豆地域における縄文時代中期後葉の山村集落であることがわかった。
詳細をご覧になりたい場合はPDFファイル『出口遺跡発掘調査報告書』をダウンロードして下さい。
池の本遺跡(伊豆市年川字池の本)
この遺跡の北北東150メートル程の場所に年川石灯塚があり、その発掘調査時に行われた周辺分布調査で早・前期縄文時代の土器片が発見されたため、遺跡の存在が推定された。
昭和39年、農業構造改善事業により、遺跡が消滅してしまうことになり、発掘調査が行われた。発見された遺構は、住居跡が4つと、遺物は石鏃・スクレイパー・ドリル・剥片石器・石斧・玉製品・異形石器・土器であった。
遺跡の西側の落ち込みは、1930年の北伊豆地震による断層の影響で消滅した池の名残で、遺跡名である池の本の名称もこれに由来する。
詳細をご覧になりたい場合はPDFファイル『池の本遺跡発掘調査報告書』をダウンロードして下さい。
柏久保遺跡(伊豆市柏久保字諸海道:もろかいどう)
この遺跡は、修善寺中学校校舎改築に伴う第一次調査(昭和58年)と、修善寺中学校体育館改修に伴う第二次調査(昭和62年)がそれぞれ行われ、延べ44日間、632平方メートルの調査を実施した。
今回の調査では、楕円形の土壙、住居跡、円形土坑が発見された。住居跡は調査区域のほぼ全域にわたり、その殆どは調査区域外へと伸びていた。
遺物は縄文時代後期の土器、縄文土器、土錘、打製石斧、石匙、石鏃、弥生時代の台付甕形土器、壷形土器、台付浅鉢形土器、高坏形土器、ガラス小玉が出土している。
伊豆市域において、弥生時代終末から古墳時代初頭にかけての集落跡の発見は例がなく、とても貴重な発見である。
桜台遺跡(伊豆市柏久保字桜平)
桜台遺跡は、修善寺町グラウンド建設事業に伴い昭和49年に発掘調査が行なわれた。
遺構は住居跡・土壙・集石土壙で、住居跡は全部で7つあったが、そのうち六つの住居跡がほぼ「コ」の字形に並んでいた。これら六つの住居跡からは何れも縄文時代早期後葉の土器片が多く出土したため、ほぼ同時期に建てられていたものと考えられる。残りのもう一つの住居跡からは、縄文時代中期初頭の土器片が出土しているため、六つの住居跡とは別の時期に建てられたものであることがわかる。
遺物は石鏃、局部磨製石斧、磨石、土器片は縄文時代早期、縄文時代前期、縄文時代中期のものが出土した。採取された土器片の多くは縄文時代早期の土器で、その中でも無文のものが全体の75%以上であった。
発見当時は、縄文時代早期の集落は全国でも珍しく、人々が集落を構成していたという最古の証拠として、とても貴重な資料であった。
桜台遺跡から北東に約2キロメートルの所に池ノ本遺跡があった。出土した住居跡内に柱穴や炉跡がないことから、桜台遺跡より少し古い遺跡も周では確認されている。
年川前田遺跡(伊豆市年川字前田)
年川前田遺跡は、年川バス停から見上げる東側の台地の上にあり、昭和53年度の県営圃場整備事業の工事過程で確認され、急遽、発掘調査が行なわれた。遺跡の規模は約20,000平方メートルに及ぶものと推定されたが、工事などで大半が原型を失っていたので、残る5,000平方メートルが調査対象となった。
発掘の結果、遺構や遺物からみると縄文時代中・後期に主体を置き、ほかに晩期や平安時代のものを一部出土している。
人びとの生活の跡をたどってみると、時代が下るにつれ、河岸段丘の上から下段に移住していることを窺うことができる。
日向館跡(伊豆市日向字井戸尻)
日向公民館の北隣、狩野川沿いに、狩野氏の居館跡がある。昭和54年4月、県営圃場整備事業に先立ち、予備調査を実施したところ確認された。
居館跡はほぼ長方形で南北約77メートル・東西約58メートル、南北には堀とその内側に土塁があり、西側は狩野川に浸食されて崖になっているが元はもっと西方に延び、そこに古い墓地があったこともわかった。
敷地内からは掘立柱の建造物跡が発見され、宋の青磁白磁のほか、常滑焼、瀬戸焼や、韮山の願成就院(鎌倉初期建立)から出土したものと同様の土師器(坏)も出土した。
この居館に拠っていた狩野氏は、更なる要害の地を求めて柿木の狩野城へと移ることとなる。
なお、遺跡が確認されたことにより、圃場整備事業は盛土を主とする工事内容に変更された。発掘調査は道路の敷地部分だけにとどめられ、遺跡の全容が解明されるのは将来の課題となった。
大塚遺跡(伊豆市大平字大塚)
大塚遺跡は修善寺の大平地区にあり、狩野川左岸の河岸段丘上に位置する。遺跡の西側には下田街道が、その西側には旭滝がある。
大塚遺跡は1961年の第一次調査で縄文時代中期の遺物が確認された。
1980年に行われた第二次調査では竪穴住居跡(配石・敷石含む)18戸・配石遺構4基・貯蔵穴3基・配石土壙62基・中世塚1基などが検出され、特に埋蔵文化財の周知範囲外であったD区から配石竪穴家屋跡1戸・竪穴住居跡8戸・配石遺構3基・配石土壙18基が検出された。
出土遺物は縄文時代が、打製石斧・磨製石斧・石匙・尖頭器及び石槍・石錘・石棒・石皿・磨石・砥石・軽石製品・異形石製品・小型石棒状石製品・縄文土器(早期~後期)・土錘・土製円盤・土偶・土製蓋・耳栓・鋸歯状縁有孔土製品・植物果核が出土し、以降では陶磁器・古銭・人骨・歯などが出土している。
特に配石竪穴家屋跡や土偶・土製蓋等、貴重な発見もされた。中でも土製蓋は駿豆地域でも初めての出土であったため、大変貴重な遺物である。
調査区はA~D区に分かれており、計3,135平方メートルの調査を行った。
修善寺地区遺跡一覧
番号 | 遺跡名 | 時代 | 所在地 | 主な出土品 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 茅野遺跡 | 縄文 | 大野字茅野 | 土器 | |
2 | 沖原遺跡 | 縄文中・後期 | 大野字高末嶺 | 土器・石器 | |
3 | 小池遺跡 | 縄文中期 | 大野字小池 | 土器 | |
4 | 益山寺1遺跡 | 縄文中期 | 堀切字瀧ヶ洞 | 土器・石器 | |
5 | 益山寺2遺跡 | 縄文早期 | 堀切字瀧ヶ洞 | 土器 | |
6 | 菅ノ沢遺跡 | 縄文中期 | 大野字菅ノ沢 | 土器 | |
7 | 出口遺跡 | 縄文中・後期 | 大野字出口 | 土器・石器 | 昭和39年調査 |
8 | 八久保遺跡 | 縄文早・中期 | 大野字八久保 | 土器 | |
9 | 立間遺跡 | 縄文前期 | 大野字立間 | 土器 | |
10 | 池ノ本遺跡 | 縄文早・前期 | 年川字池ノ本 | 土器・石器 | 昭和39年調査 |
11 | 牧之郷館 | 中世 | 牧之郷字馬場 | ||
12 | 馬場遺跡 | 縄文中期 | 牧之郷字馬場 | 土器 | |
13 | 柏久保遺跡 | 旧石器、縄文、弥生 | 柏久保字諸海道 | 尖頭器、土器、石器、ガラス | 昭和58,昭和61年調査 |
14 | 柏久保城址 | 中世 | 柏久保字城山 | 空堀、土塁、郭 | |
15 | 桜台遺跡 | 縄文早・中期 | 柏久保字桜平 | 土器、石鏃、石斧 | |
16 | 新野遺跡 | 縄文中期 | 年川字新野 | 土器 | |
17 | 年川前田遺跡 | 縄文中期 | 年川字前田 | 土器、石器、石製品 | 昭和53年調査 |
18 | 中原1遺跡 | 中世、近世 | 加殿字中原 | 土器、金属製品 | |
19 | 加殿城址 | 中世 | 加殿字中城 | ||
20 | 子神社遺跡 | 古墳 | 加殿字中城 | 石製品、神獣鏡 | 市指定神獣鏡出土 |
21 | 中原2遺跡 | 縄文中・後期 | 加殿字中原 | 土器 | |
22 | 田代館2遺跡 | 中世 | 加殿字古宮 | ||
23 | 田代館1遺跡 | 中世 | 田代字垣ノ内 | ||
24 | 田代城跡 | 中世 | 田代字池田山 | 土塁・堀切・郭 | |
25 | 小山田遺跡 | 縄文早期 | 加殿字小山田 | 土器・石器 | |
26 | 小山田上遺跡 | 縄文早・中期 | 加殿字小山田上 | 土器・石器 | |
27 | 謡畑遺跡 | 奈良、平安 | 加殿字謡畑 | 土師器 | |
28 | 日向館跡 | 中世 | 日向字井戸尻 | 土師器、陶器 | 昭和56,平成4年調査 |
29 | 池ノ上遺跡 | 縄文、弥生、奈良 | 日向字池ノ上 | 土器、土製品、石器 | |
30 | 奥野遺跡 | 縄文 | 日向字奥野 | 土器 | |
31 | 飯塚遺跡 | 縄文、弥生、古墳 | 横瀬字飯塚 | 土器 | |
32 | 大林遺跡 | 縄文 | 熊坂字大林 | 土器・石器 | |
33 | ヒラ平遺跡 | 縄文前~後期 | 熊坂字ヒラ平 | 土器・石製品 | |
34 | 仲林遺跡 | 縄文中・後期 | 熊坂字仲林 | 土器・石器 | |
35 | 荒久遺跡 | 縄文中期 | 瓜生野字荒久 | 土器 | |
36 | 修善寺城跡 | 中世 | 修善寺字向山 | 鏃 | |
37 | 東小学校遺跡 | 縄文中期 | 本立野字一町 | 土器、石器 | |
38 | 修禅寺経塚 | 平安 | 修善寺字寺山 | 土器、土製品、石製品、金属製品 | |
39 | 梅林遺跡 | 縄文早期 | 修善寺字小白山 | 土器、石器、石製品 | |
40 | 修善寺小学校遺跡 | 縄文、弥生 | 修善寺字中里 | 石器、石製品 | |
41 | 湯舟口遺跡 | 縄文中期 | 修善寺字柚ノ木田 | 土器 | |
42 | カラス平遺跡 | 縄文中期 | 堀切字広野カラス平 | 土器、石器 | |
43 | 広野遺跡 | 縄文中期 | 堀切字広野 | 土器、石器、石製品 | |
44 | 馬見塚遺跡 | 縄文 | 修善寺字筑岡 | 土器 | |
45 | 滝頭遺跡 | 縄文早期 | 大平字滝頭 | 土器 | |
46 | 大平館 | 中世 | 大平字道芦原 | ||
47 | 大塚遺跡 | 縄文中期 | 大平字大塚 | 土器、土製品、石器、石製品、金属製品 | |
48 | 大平城1遺跡 | 中世 | 大平字城ノ腰 | ||
49 | 奥ノ院遺跡 | 縄文中期 | 修善寺字飯山別当 | 土器、石器、石製品 | |
50 | 入谷平遺跡 | 縄文中・後期 | 大野字原畑 | 土器、石器、石製品 | 昭和43年調査 |
51 | 大野館 | 中世 | 大野字藤治屋敷 | ||
52 | 大平城2遺跡 | 中世 | 大平字大城 |
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更新日:2023年03月01日