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市指定-歴史資料

宗祖御本尊曼陀羅

宗祖御本尊曼陀羅は、日蓮聖人(1222~1282年)の真筆で、「弘安五年正月」に俗人安妙に授与されたものです。この年は西暦1282年で、10月には聖人が亡くなっています。
安妙については、どのような人物であったか定かでありません。
また、この曼荼羅は、日蓮宗の宗宝にも指定されています。

平成元年2月27日指定 伊豆市雲金109-1 妙本寺

宗祖筆要文断片

右側の「覚義成即是乗如実道未成」と大きく書かれた文字が聖人の真筆とされています。
続いて、元禄三年(1690)に日允上人がしたためた、日蓮聖人の真筆であるとの鑑定書が奥書されています。
この要文断片は、日蓮宗の宗宝にも指定されています。

平成元年2月27日指定 伊豆市雲金109-1 妙本寺
 
 

聖神社永正の棟札

聖神社は昭和56年に現在の社殿に改築されましたが、それ以前は茅葺きの社でした。屋根の葺き替え(20年に一度)の際の棟札が30数枚保管されていますが、これはその最古のものです。村名に「槻瀬村」とあり、月ヶ瀬の地名の由来をうかがわせる興味深いものです。縦32cm、横10.5cm。
「大日本國伊豆州狩野庄槻瀬村/聖宮大明神添垂後人民守護也/御供之田地一旦子祗兵衛四良殿/大工神余中嶋与四良殿 永正九壬申霜月廿六日」がその文面です。裏面は享禄五年(1532)秋の葺き替えの際の棟札と見られます。永正九年は1512年に当たります。
平成2年2月27日指定 伊豆市月ヶ瀬1聖神社:月ヶ瀬区

ハリス宿泊時の看板と床几

米国総領事タウンゼント・ハリス一行が、日本との通商条約締結をめざして江戸へ上る途中の安政4年10月8日(旧暦)に宿泊した折、弘道寺の門前にかかげた看板とその折に使用された折りたたみ式の床几六脚です。
木製の看板は縦16cm、横26.3cm、厚さ2.3cm、「亜米理加使節泊」と墨書されています。床几は横60.5cm、拡げたときの高さ36cm、脚の横木2本にはそれぞれ「六脚之内 天城山什物 匝山求焉」「宝暦十三星舎未六月穀旦 大工源六」の墨書があります。ちなみに源六は、木村屋菓子店当主のご先祖です。
 
平成元年2月27日指定 伊豆市湯ヶ島296:弘道寺

軽野神社狩野介の棟札

延喜式内社(軽野神社)に残されている最古の棟札です。
「敬白 御地頭狩野介 大丹那飯田中務尉泰長 御大工福井七郎左衛門尉秀顕 鍛冶三郎左衛門正信 謹書之/奉修造豆州狩野庄松瀬村笠離大明神御宝殿 天文廿一年霜月十五日/御代官小泉意春 本願壇那祢祗飯田惣左衛門尉泰光 合体願大河十郎左衛門吉廣」とあります。
天文21年(1552)当時、伊豆の国は後北条氏の支配化でした。永禄2年(1552)当時、伊豆の国は後北条氏の支配下でした。永禄2年(1559)の北条役高帳松山衆の項に狩野氏ニ名の名があり、松ヶ瀬と小立野、日向を領していたことが録されています。
平成元年5月9日指定 伊豆市松ヶ瀬250-2:軽野神社

柿木魂神社永禄三年の棟札 

柿木魂神社は明治9年12月、従来小白ヶ沢に鎮座していた山ノ神に併せ同集落内八幡神・田子野の稲荷社・助惣の()の神及び琴比羅神を田子野の現在地へ遷宮合祗し、明治25年柿木魂神社と改称され、山ノ神の祭神は大山祗命です。合祀5社の棟札はすべて保存されていますが、その内山ノ神の棟札が最古で永禄3年(1560)と記されています。
棟札に記されている文字には、平安末期以降、明治初年まで続いた本地垂迹(すいじゃく )説による神仏同体(混交)の史実が明瞭に現われています。
平成2年9月28日指定 伊豆市大平柿木292柿木魂神社:大平柿木区

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社会教育課生涯学習スタッフ
伊豆市八幡500-1  電話:0558-83-5476  FAX:0558-83-5480